認定NPO法人ふくしま30年プロジェクト 理事長 佐原真紀
「ふくしま30年プロジェクト」では放射能測定からお母さんどうしの交流会、保養といった事業を進めています。しかし、スタッフは「3.11」まで放射能測定や被曝の問題について関わってきた者は誰一人としていません。あの緊急事態に対処するためにそれぞれが動き、現在の「ふくしま30年プロジェクト」という形になりました。その中には様々な立場の人間がいます。今回は「母」としての立場で活動している佐原真紀にその想いを語ってもらいました。
聞きて:ふくしま30年プロジェクト
自分の思っていることや意見を「そのまま言えない」状況
— 福島で子育てをしながら暮らす母であり、市民の立場で放射能の測定を続けているという立場で、TVや新聞、それこそ海外メディアにも取り上げられることも増えたかと思います。それについては、どう感じていますか?
佐原 福島では、自ら発信しようとする人が少ないとは思います。自分の意見を県外、海外の人に伝えようとする方が少ないので、何かで私のインタビューを読んだことがある方なんかが声掛けしてくれているんだと思います。
私としては「大変だな」と思うこともありますが、それよりも「福島の現状を伝え続けなきゃいけない」という想いがあるので、できる限りお応えしています。
— 何を「伝えるべき」と思っていますか?
佐原 福島の難しい現状です。今はただ「復興に向かえばいい」とか、「風評被害を払拭すれば問題ない」といった流れにどんどんなっているので、「それだけじゃないんだ」ということです。
それは例えば、「分断※01」の問題。
今も、福島のお母さんたちが自分の思っていることや意見を「そのまま言えない」状況が一番の問題だと思っているので、「そうじゃないんだよ」ということを伝えたいと思います。
— それは、本来「抱えている問題を口に出していいんだよ」ということですか?
佐原 そうですね。
— 「もう復興した」とか「安全だ」と思っている、または、思いたい人たち以外の「声の聞こえてこない」方々は、実際どれくらいいるんでしょう?
佐原 普通のお母さんたちは、「みんなもう、そういう話を一切しなくなった」みたいなことを言うんですが、私の肌感覚として「そんなこともない」と思います。
それは、私がこういうことを仕事にしていることをみんなが知っててくれているので、「この人にだったら言ってもいいだろう」、「言いやすい」というのがあって、そういうことを話してくれる方は結構多いんです。
だから、本当はまだまだいるんだと思うんですね。
同時に「一切口にしなくなった」というのとも違うんですが、でも実際、「まったく話題にしない人たちもいるんだろうな」とは思います。
— 数字にし難いこととは思うんですが、あえてしてみると?
佐原 何かしら不安を感じている人は、8割以上はいるはずです。それは「掘り下げて聞いてみると」ということですが、普段そういうことを話題にしない人も、みんなで遊びに行って、ひょんなことからそういう話が出るとやっぱり不安は感じています。
あとは、知らないからこそ「大丈夫だ」と思っていたのに、例えば甲状腺がん※02のことや新しいことが発表されたりする度に、「そうだったんだ」、「やっぱり危険なんだ」とか、「福島は安心できる状況じゃないんだ」と、改めて不安を感じてるようです。
だから、一生懸命葛藤してるんだと思うんです。どこかに「『大丈夫だ』と思い込もう」という意識があって、だからこそ何かあるたびに心配になるという。
— 逆に測定、情報発信をしている立場になって、「この人、話してくれなくなっちゃったな」という方もいますか?頼りにされると同時に、批判を受けることもあると聞きます。
佐原 そこはさすがに、直接はないですね。批判を見かけるのはネット上で、姿が見えない方からの意見です。それはたぶん、私たちの活動を見て、「福島で不安を煽ることをしている」と思われてる方なんだと思います。
確かに、「福島は安全だ」と思い込みたい人にとったら、私たちはいつまでも不安材料を外に出してくる人たちなので、ごもっともかもしれません。でも私たちも、ただそう思い込むだけじゃなくて、何よりしっかり現状を知ることが大事だと思っているので。
— 福島がまだ安心できる状況にないという明確な例を、あげられますか?
佐原 まず健康被害では、甲状腺がんが思ったよりも多発しています。
あとは、これは私たちが実験した中でわかってきたことですが、「空気中に放射性物質はもうないんでしょう?」という意見の方がいます。でも、「切干し大根プロジェクト※03」として、兵庫から持ってきた0ベクレルの大根を切って外に一週間干すと、その後200ベクレルを超えてしまうという状況がある。それを見て、「やっぱり空気中に舞ってないわけじゃない」ということを知ったりしています。
— いつでも、どこでも舞ってるわけではないとしても、何かの拍子で普通に舞っている。
佐原 特に風が強い日とかは、セシウム※04は花粉なんかよりも小さいもので、黄砂があれだけ中国から届くわけだから、セシウムだってどこまでだっていっちゃうんだと思います。
だからまだ安心はできないですし、あとはお母さんたち同士だったり、家族内だったり、色んな選択をした人たちの間の分断が問題だと思います。
※01 分断
金銭面については避難区域を同心円状の半径20kmで区切ったために、それに対する賠償額に差がつくことになった。伊達市霊山町や南相馬市等での避難勧奨地点も地区ではなく世帯ごととしたため、同じ地域で賠償の有無が発生した。結果的に地域のコミュニティーの破壊へと発展することとなった。
また、放射線の健康への影響についても、家族の中で考え方の違いが発生した。避難区域外での避難について夫婦間での意見の相違から離婚へと発展することもあった。
一度避難した人が戻ってきた場合、避難しなかった人に対して「逃げた」という後ろめたさを持ち、元のコミュニティーに復帰できないこともある。
※02 甲状腺がん
東京電力福島第1原子力発電所事故による放射性物質の拡散による影響から福島県民の健康の維持、増進を目的に行われている「県民健康調査」の一つで、事故当時18歳以下の子どもを対象に甲状腺検診を行っている。その結果2016年3月31日現在、173人の悪性ないし悪性疑いのがん(良性1人を含む)と診断された。県民健康調査検討委員会ではこの結果に対して、「放射線の影響とは考えづらい」と評価している。
※03 切り干し大根プロジェクト
セシウムの汚染が確認されない大根を1週間外干しした場合、どれくらいセシウムが付着するかを実験したプロジェクト。ここでの200ベクレルとは、1キログラム当たり200ベクレルという意味。この切り干し大根の測定では32グラム使用したので、切り干し大根自体に付着していたセシウムは6ベクレルとなる。
※04 セシウム
ウランの代表的な核分裂生成物として、ストロンチウム90と共にセシウム135、セシウム137が、また原子炉内の反応によってセシウム134が生成される。この中でセシウム137は比較的多量に発生しベータ線を出し半減期も約30年と長く、放射性セシウム(放射性同位体)として、核兵器の使用(実験)による死の灰(黒い雨)や原発事故時の「放射能の雨」などの放射性降下物として環境中の存在や残留が問題となる。(Wikipediaより)
国は放射性セシウムを含んだ食品の基準として、1キログラム当たり100ベクレルとしている。これはセシウム137とセシウム134を足した値である。