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20168/21

日本とゴジラ

 7月29日から12年ぶりに国産のゴジラ映画が『シン・ゴジラ』というタイトルで公開されました。総監督にアニメ:エヴァンゲリオンシリーズの庵野秀明氏を迎えて、四たび仕切り直しての復活です。これまでのゴジラ映画は昭和29年の第1作を踏まえて、日本は一度ゴジラに上陸されたという世界を描いてきました。しかし、今回の『シン・ゴジラ』は過去にゴジラに上陸されたことがない、日本に初めてゴジラが上陸するという第1作以来の世界を描いています。
 ゴジラのモチーフとなっているのは「核」です。第1作は、社会問題となったビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸の被曝事件から着想を得たわけで、「放射能被曝」の問題がクローズアップされています。ただし、社会派映画という体裁ではないので、それをベースにし、エンターティンメントとしてまとめてあります。ところが、エンターティンメント性に重きを置いた、その後の「怪獣対決」路線では観客にアクションを堪能させるため、お約束としてゴジラによる被曝については触れないようになりました。また、第1作は敗戦9年後に公開ということで、「東京大空襲」の記憶がまだ生々しく、「核」と「空襲」という惨禍の暗喩としてゴジラを扱っています。この点についても、以後のシリーズでは切り捨てられた部分です。しかし、311を経た日本でわざわざゴジラを復活させるならば、元々の出自である「放射能被曝」や「空襲」のような、日本を襲う惨禍の象徴として描かなければ意味がないでしょう。ただし、私は「シン・ゴジラ」の製作が発表されたとき、総監督の庵野秀明氏はエヴァンゲリオンシリーズの制作途中であり、また、氏の実写作品をあまり評価していなかったので、正直、期待はしていませんでした。
 公開された『シン・ゴジラ』は、まさしく311を経た日本だからこその映画でした。「核」と「空襲」をバックボーンにした第1作と同じように、『シン・ゴジラ』では「核」はそのままに、「空襲」が「東日本大震災」となっています。次々と破壊される街と、それに右往左往する人々。そして、猛烈な勢いで流れていく情報。5年前の記憶が呼びさまされるような映像が矢継早に展開されていきます。甲殻機動隊で知られる押井守監督は「人は記憶で映像を観る」と言っています。『シン・ゴジラ』の世界で展開される災害や政府対応の描き方は「東日本大震災」をモチーフとして、観客がリアルと感じるように作られています。まさに、この映像を「記憶」が補完して、観客を引き込んでいきます。その上で、庵野秀明氏の得意の表現が全て盛り込んであると言っていいくらいで、エンターティンメントとしても一級品の仕上がりとなっています。その映像に感服しながら、私は建物が倒壊し、街が破壊される映像に「東日本大震災」の津波で飲み込まれた人々を思い起こし、固唾を呑みこみながらスクリーンに見入りました。

 
ここからはネタバレを含みながらになりますので、先に記した感想で興味を持った未見のかたは鑑賞後にご覧ください。

 
作品として興味深く感じた点をいくつかあげます。

・現在、私は放射能測定を活動の中心としていますので、当然それにまつわる描写に目がいきます。劇中では「20シーベルト」や「0.8~1シーベルト」といった単語が普通に登場し、Twitter上では、ユーザーが都内のモニタリングポストの数値に注目しています。これを受け、官房長官は、ゴジラ上陸後に都内の空間線量が「0.5マイクロシーベルト/毎時」に上昇した、と記者会見を行います。これらの描写から、『シン・ゴジラ』の世界では福島第一原発事故、もしくは他の原子力施設で大規模な放射能漏洩の事故があったと考えました。庵野氏の制作手法は「神は細部に宿る」ということで、徹底的にディテールに拘ります。一般市民が空間線量に注目するというのは、核災害を経験せずには有りえません。『シン・ゴジラ』の世界が設定しているリアリティのラインからすれば、過去に核災害を経ていると考えるのが妥当です。
 余談ですが、このシーンのTwitterのアカウントで市民放射能測定所っぽいものがあればよかったのにと思いますが、世間的に見ればマイナーな存在なので、これは無いものねだりというものでしょう。

・本作は、ポリティカルフィクション映画として、昭和48年版『日本沈没』を連想させます。5年前の震災直後に『日本沈没』を観て、国民を全力で守ろうとする山本首相 (故丹波哲郎氏が演じる!) に感嘆しました。そして、劇中と同じように国が亡ぶかもしれないときに、現実には国民を守るのとは正反対のことが行われていることに絶望しました。『シン・ゴジラ』でも、政府が国民を守ろうとするのは『日本沈没』と同じですが、前半は政府のシステムの無能さ (伝言ゲーム、縦割り等) から、311と同じような被害を出すことになります。ゴジラの上陸侵攻が津波被害を想起させるだけに、政府の対応が311とリンクします。311の流れをなぞるように、津波に引き続き、中盤はゴジラを原発のメルトダウンの暗喩として描きます。観客と『シン・ゴジラ』の世界とが一体化していき、それは、ゴジラの吐くレーザーによって東京の3つの区が炎に包まれたときに頂点へと達します。初見のときは、この展開の上手さに舌を巻きつつ、さすが「庵野!」と思いました。しかし、再見したときに、ゴジラによって国会議事堂、霞ヶ関、東京が燃える映像に初見のときとは違う快感を味わいました。それは、「福島の復興無くして日本の復興無し」とうそぶき、相変わらず中央集権化にいそしむ政府が屠られることへの快感です。この感覚を持たせるために、ここまでの描写があったのではないか?  確かに作り手は、怪獣映画の一番の見どころである破壊シーンへ持って行くために手練手管を駆使します。しかし、この東京が燃えるシーンは、それだけでなない情念を感じさせるシーンになっています。間違いなく、ここでは作り手の視点は人の側には無く、ゴジラの側にあります。だからこそ、ここが『シン・ゴジラ』のピークと言ってもよく、後半のゴジラを冷温停止させる (まさに原発!) のは、映画としてオチをつけるためにあるといってもいいかもしれません。

・前述の情念は、怨念と言っていいかもしれません。劇中でその怨念は、原爆で妻を亡くした「牧吾郎」のものとして語られます。ただし、そのドラマが描かれることはなく、原爆によって焼野原となった風景が瞬間的に写されるだけのため、非常に印象が薄くなっています。これは、今作のストーリーが311の描写を積み重ねているのとは正反対です。第1作のゴジラのときであれば、このようなエピソードの導入程度にしか見えない描写でも彼の怨念を成立させることができたかもしれません。しかし、71年を経た今、あの程度の描写では、観客が『シン・ゴジラ』の発端となった動機として感じるには弱すぎると思います。
 『シン・ゴジラ』と非常によく似た構成の映画が、先に挙げた押井守監督の『機動警察パトレイバー 劇場版』です。映画の冒頭、「帆場暎一」という人物が塔のてっぺんから投身自殺をします。彼も「牧吾郎」と同じように、生い立ちについての説明は最小限に留めてあります。すでに存在しない人間なのにストーリーの中心に位置し、彼の残したプログラムにより東京が崩壊するカタストロフが起きる (最終的にパトレイバーでは未然に防がれる)。こう書くと、『シン・ゴジラ』とシチュエーションは同じですが、圧倒的に存在感が違います。せめて、「牧吾郎」が妻を被爆の後遺症で亡くしたうえで、原発のメルトダウンも起こり、再び絶望したという流れでないと、東京をなぎ払うゴジラの怨念に対応しないと感じました。

・今作は、311をなぞるような映画でありながら、「天皇のおことば」がありませんでした。また、『日本沈没』では天皇自身は出てきませんが、山本首相が避難民を助けるために、宮内庁に「門を開けて…、 ただちに門を開いて避難者を宮城内に入れてください!!」と懇願します。これだけの災禍に見舞われたときに、天皇の存在に触れないというのはどういうことなのかと思っていたところ、「今回の映画では、父親がアメリカだから」という意見を見て合点がいきました。
 庵野氏の代表作『エヴァンゲリオン』は当初、「父殺し」をテーマとして物語が始まりました。主人公が父を乗り越えて成長するという古典的なテーマです。そのため、物語前半は父親:碇ゲンドウと主人公:碇シンジとの対立が描かれていきます。しかし、後半に至るにつれ物語は父親に替わって母親との濃密な関係性(思春期に顕著な母親に取り込まれることへの恐怖、反抗)に移ってしまいました。最終的に庵野氏は「ゲンドウはいらなかった」と言うまでに至り、父殺しというテーマは破綻します。
 『シン・ゴジラ』の後半は、ゴジラ殲滅のためにアメリカが行う熱核攻撃から国民を守るという流れになります。その熱核攻撃を防ぐために、ゴジラを冷温停止させるための「ヤシオリ作戦」をあらゆる手を使って成し遂げます。日本政府の熱核攻撃の引き伸ばし工作に、アメリカの高官は「日本が狡猾な外交手段が使えるとは思わなかった。危機は、あの国すら成長させるようだ」と言います。これは、かつてマッカーサーが日本を評して「12歳の少年」と言ったことに対応する言葉のようです。父親として立ちはだかる存在としてアメリカを描くためには、天皇の登場はそれをぶれさせる。結果、『シン・ゴジラ』はリアリティあるポリティカルフィクション映画でありながら、天皇の存在に触れないものとなっています。
 後半の「ヤシオリ作戦」のエピソードは、絵的なクライマックスとしては物足りないものでしたが、『エヴァンゲリオン』では成し遂げられなかった「父殺し」が描かれたと思います。ゴジラが東京を屠るのがメインテーマとしたら、「ヤシオリ作戦」は裏テーマとして『エヴァンンゲリオン』のリベンジが成されたものではないでしょうか。

・エピローグにおいて、ゴジラが発生させた放射性核種は半減期が20日しかなく、3年で影響がなくなるだろうと語られます。正直、初見ではガクッときました。今まで、劇中の放射線量に感じていた緊張感はセシウム137のような長期間に影響があるものだと思っていたからです。環境中にばら撒かれたセシウムを意識しながら生活している身としては「ヌルい」と脱力しました。そして、エンターティンメント映画として営業的に続編を作ることが可能なように東宝側に譲歩したのかと思いました。
 しかし、その次のシーンでは、ゴジラへの熱核攻撃の作戦は続行中であり、ゴジラが再起動した場合は3600秒 (1時間) 弱で核ミサイルが撃ち込まれるとも語られます。そのような状態では、例え放射線量が下がり無害化したとしても、ゴジラ周辺地区は封鎖しなければならないはずです。その上、いわゆる「風評被害」で首都としては成り立たないし、霞ヶ関が崩壊したこともあるので、行政機能の移転、遷都した方が早いでしょう。
 ゴジラを冷温停止に持っていき、ハッピーエンドとして映画は終わります。しかし、この後も日本はゴジラと共生していかなければならないという形で、再び、福島第1原発を抱えた現実の日本と重なったわけです。また、最終カットのゴジラの尻尾の先端にある人型の群れ。ここで、中盤の東京を屠るゴジラで垣間見えた作り手の怨念が再び噴出したように感じました。一見ハッピーエンドに見えて、こういった描写を入れ込むのは余計に性質が悪いというか、悪意があると思います。が、私としては半減期の設定には残念な思いを抱きましたが、このラストならば有りだと思えるようになりました。

 
『シン・ゴジラ』は、まだまだ語りつくせぬ映画です。
第1作と同じ、エンターティンメントでありながら一筋縄でいかない映画です。
単純に楽しめる映画でもありますが、そこに表現されたものを考えると何重にも楽しめるスルメのような映画です。
そして、311が依然として終わっていないことを感じてください。

(あべ ひろみ)

 

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